一年以上前のことです。
再登校して半年がすぎ、少しホッとしたのかもしれません。
それまで考えまいとしてきた気持ちが大きくなってしまいました。
自分の感情は後回し!と、必死で振り払っていた気持ち。
それは
「コンプリメントをかけてほしかった」
ということ。
とても複雑でした。自分でいうのもおかしいのですが、私は「いい子」でした。
いい年をして、いまさらどうこう言うなんて本当に恰好悪い。
年老いた親に文句なんか言いたくない、こんな態度なんか取りたくないと思うのに、どうすることも出来ませんでした。
まるで、遅れてきた反抗期のようでした。
「あんなことを言われてとても傷ついた。」「とても悲しかった。」「私はお母さんの理解者でいたかったから、ああ言っただけだった」etc.
我慢しても責める言葉があふれてしまいました。
「お母さん、ごめんなさい。私、お母さんを傷つけたくて言ってるんじゃないの。責めたくて言ってるんじゃないの。ただ、辛かったって聞いてほしいだけなの。」
言いながら気づいたのです。
「ただ、ただ、わかって欲しい」
それだけだということに。
言い訳を聞きたいわけじゃない、意見を言われたいわけじゃない。
「そう思っていたんだね」と認めて欲しい。
ああ、子どもたちもそうなんだ。
と、そのとき子どもに共感することができました。
私は子どものあれやこれやネガティブな言葉を聞くと、「なんとかしなくちゃ」と思ってしまう傾向がありました。
コンプリメントによる子育てと出会ってからは、同調しないように気をつけていましたが、子どものマイナスエネルギーたっぷりの言葉には振り回されないようにするだけで精一杯。
余計なひとことを言わないだけで精一杯。
「大変だね」も、ただ言うだけで精一杯でした。
それが、子どもの立場になって、「ただ聞いてほしい、ただわかって欲しい」という気持ちを理解することができたのです。
そして、母と子の関係においては、いつまでもずっと、母であり子であるということにも。
それからは、「大変だね」の言葉に心をこめられるようになった気がします。
さて、それからまた時が流れ今、母との関係は私たちの親子史上(?)で一番良い状態だと思います。
母もまたコンプリメントをかけてもらうことなく大人になっただけ。その母である祖母も曾祖母もコンプリメントによる子育てを知らなかっただけのこと。
私がコンプリメントによる子育てをしていることも、母やその母の子育てを否定したということではなく、
「上手くいくことは続け、上手くいかないことは工夫」したのだと、今は思っています。
母やその母、さらにその母と、たくさんのお母さんたちのおかげで私は生を受けた。
子どもたちと出会え、コンプリメントの子育てと出会えた。
そのことに感謝し、日々幸せを感じています。
☆イトキチのプロフィール☆
大1・高2・中3の三兄弟の母。
2017〜2018全員が不登校になる。
主な症状は長男:対人不安、次男:起立性調節障害(体位性頻脈症候群)および過敏性腸症候群、三男:頻尿、血圧低下
2018.10〜コンプリメントトレーニング(三男対象120日)
全員が安定登校して一年以上になりました。
JUGEMテーマ:不登校
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