JUGEMテーマ:不登校
3年前息子が不登校になり、家族の中で息子と一番関係が悪くなってしまったのが私の父でした。
警察官をしていた父は自分にも他人にも厳しく、息子の状態を理解できないようでした。
ただ「甘えている」と。
ある日、
トレーニングの基本から外れ
夫が電子機器を無理やり取り上げ捨ててしまったことで、
息子は悪魔が乗り移ったような様相で暴れ
夫に怪我までさせてしまいました。
夫は腰を強打してしまって動けない。
もうこれは自分達だけでは無理だと
車で1時間ほどの私の実家に助けを求めました。
「今すぐに行く」と父が真っ先に駆けつけてくれました。
そこで息子を一喝、私達が言えなかった厳しいことを息子に言ってくれたのが父でした。
武道有段者の父には息子は歯向うことはありませんでした。
電子機器を取り上げられた怠惰な脳が夫が仕事の間暴れるかもしれないと、
父と母が1週間泊まり込んでくれる事になりました。
父はもともと口数が少ない人なので、
普段一緒にいない息子にどんな言葉をかけていいのかわからない様子でした。
そのせいか、たまに口にする言葉は厳しい言葉ばかり。
息子は父のことが大嫌いだと陰で言うようになってしまいました。
父を憎まれ役にしてしまい、申し訳なく心の痛む日々でした。
それからコンプリメントを続け、3年と4ヶ月。
先日の父の誕生日、お祝いの電話をかけました。
息子は嫌がると思ったので「おめでとう」だけ言ってくれたらいいよ、と
途中電話を変わりました。
息子は受話器を持って自分の部屋に行き、しばらくの間話していました。
そして柔らかな表情で戻ってきて「お母さんと変わるね」と私に電話を渡してきました。
電話口で父はとても喜んでいました。
「ずいぶん成長したね」と。
1時間半以上かかる学校に朝から休まず登校していること。
バイトも責任感を持って続けていること。
そんなことを褒めてくれたようでした。
「あんなに遠くの学校に毎日通えるようになるとは思わなかった」
「あの頃は自分でもどうしていいかわからなかったんだろうね」
「よく頑張っている、大したもんだ」
と私に話してくれた口数の少ないはずの父の言葉に、涙が出ました。
そして電話を切り、息子に
「たくさん話してくれてありがとう、おじいちゃん喜んでいたよ」と言うと
「ホント?割としゃべったな。」と笑顔を見せてくれたのです。
厳しい事ばかり言っていた父の
「言葉の奥の愛」も息子にはちゃんと届いていたのですね。
「厳しさも愛情」
すぐには伝わらなくても、
真の愛情が込められた言葉は、
子供の心の中でコンプリメントと共に熟成して
浮かび上がってくるのでしょうか。
このトレーニングに出会わなければこんな日は来ませんでした。
家族の絆まで深めてくれたコンプリメントと父と息子に、今は感謝するばかりです。
☆ひなた☆ プロフィール
息子は高校1年生。
中学1年生の5月から五月雨登校→完全不登校に。
その年の9月からトレーニングを始め、約60日で教室へ再登校。
その後一進一退(十退)紆余曲折あったものの
コンプリメントを続け、高校受験を経て毎日元気に登校中。
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