次男は小1の入学時がコロナ一斉休校となった学年で、少ししか学校生活を体験しないうちに、夏の終わりから1年近く不登校になりました。
0歳から6年間も保育園集団生活で、家では手のかかった兄しか見てもらえず寂しい思いをしてきた次男にとって、コンプリメントトレーニングに伴う母と二人の学校タイムも、ゲーム禁止トランプ大会も、楽しく居心地のよい不登校生活だったと思います。母が午後出勤すると、今度は甘やかしてくれる祖母が家に来てくれるので、1人で留守番することもなく…
またトレーニングの開始資料を都合よく読み飛ばし、トレーニング120日頃まで土日は自由(電子機器は禁止ですが)だったことも、楽しい不登校を長引かせました。
森田先生が「うまくいくことは続ける、うまくいかないときは工夫する」とおっしゃいますが、トレーニング170日経過ごろ「我が家は不登校生活をうまくいかせているだけなのでは?不登校生活における優等生になるばかりで、いっこうに登校する気配がない!これはうまくいってないのだ、だから、変えないと!」と思うに至ります。次男はとても落ち着いており、家庭ではいろいろなことに取り組むのですが、登校だけは絶対にしないのでした。
それから祖母に協力を依頼し(正確には協力を断り…なのですが)次男と決別してもらいました。
「ばぁばが毎日きて、学校に戻るために頑張るあなたの邪魔になってると思うから…登校するまで会わないよ…また会いたいから頑張ってよ…」と涙涙のお別れでした。
次男はゲーム禁止で漫画が大好きになっていたので、家中の漫画も撤去しました。
家の居心地を悪くしていくうちに、「俺が学校行けたら、土曜は兄ちゃんの野球の応援行ってもいいの?」等、もし学校に行けたらという発言が出るようになりました。
一方その頃、ランドセルを背負う、途中まで通学路を歩く等があり、登校できなくても少しの動きもコンプリメントをしていたのですが、これについては本人が登校するために頑張っているというより、楽しい不登校を継続するため、親をごまかすためのポーズで、登校する気など全くないのではないか?という親の勘も働きました。
そのことを森田先生へ相談すると「登校する力はついているが、本人はどうやって登校していいかわからない、1度担いででも学校へ連れていき、学校が安全なところだと脳に認識させる必要がある」と助言をいただきました。
コンプリメントトレーニングで力をつけたら自分で学校に行くんじゃなかったの!?どうやって登校したらいいかわからないって?ただ歩いて行けばいいんだよっ!(見当違いの反論ですね…)
ここへきて担いで連れて行くなんて… 力ずくで!? と、私は大混乱。
しかし、登校する力がついていると言ってもらえるくらい水が溜まっているならば、これをやってみて駄目でも命まで取られることはないだろう、平和な不登校が続くだけなら今まで通り!やってみよう!と腹をくくりました。
次男は小2になっており、母が担いで階段を降りることはままならず…
母「もう学校で勉強して!家での学校タイムは必要ないから!」と玄関へ引きずる
次男「家で勉強しますから許して!」と泣いて机に戻る
親子で掴み合い引っ張り合いを繰り返しているだけで、学校に担いで行くことはできませんでした。
母子の大荒れ格闘は3日間。
3日目、次男には「お母さんのことは振り切れても、明日はお父さんもいるからね」と予告しました。
そして4日目、何事もなかったように父親と歩いて登校したのです。
トレーニング187日目の再登校でした。
個別相談により、まさかの力づくの格闘を挟みましたが「自信の水が溜まったら、再登校するときは自分で決めて自分で行く」は当てはまりました。
私がこんなに頑張ったのに、1番いいところは父親に持っていかれた!!と感じましたが、父親への想いというのも次男のテーマであったように思います。主人は手のかかる兄と二人三脚で少年野球に熱中し、次男はあまりかまってもらえていませんでした。
不登校中、主人の生活は何一つ変わっていませんでした。私は主人を蚊帳の外に置いて、実母に甘え、事態を悪化させていたと思います。
私の頼るべきは実母ではなく主人であると理解したことと、再登校は繋がっているような気がしました。
今、思い返しながら記事を書いて、涙が浮かんでいます。
長い長い体験談をお読みいただきありがとうございます。
個別相談、ぜひぜひご利用ください!
森田先生はすごいです!
★はるかあさん★
中1、小4男子の母
次男が小1の秋から約1年不登校
2021年8月トレーニング210日終了
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